衒学者の回廊/滞米中の言の葉(1993-1994) | |
| |
ポジティブな文化、あるいは罪の意識を背負った日本 |
何をもって「文化」とするか、という議論は果てしなく続く。「文化」を便宜的に定義してしまうのは簡単だが、いざ、「本当ッは何が最も適切か!?」などと頑張るほどに迷宮にはまり込んでしまうのだ。それでは、不可能ために奮闘するのは潔(いさぎよ)く辞めよう、と言うかというとそれは違う。いやむしろ、その定義をめぐる議論を以ってしか、本質に近づくことができない、という新たな「モノゴトにたいするにんしきのそくめん」に触れる思いもするのだ。 石川氏の『昔話の歴史』、そして私の拙文『シーシュポスの職人達』以来、「アメリカか日本か」などの「文化」をめぐるエッセイのやり取りは続く。あれは昨年(1993)の5月だったから、約半年振りの議論再開になる。11月の15日、私は次のような興味深い、いわば「まとめ」にも似た文章を、再び石川氏から受け取ったのだった。彼が本当にそう思っているのか、弁証法的に「私の意見に対立する概念」を持ち出しただけなのか、それはわれわれの傾向から言って後者だろうが、いささか思いきった断定が目につくものの、それをとやかく言うのはよそう。
例によって彼の文章をそのまま載せたが、さて、「日本は好い国だ」と主張したい私にとって、「ポジティブな日本の文化」とは何だろう。あるいは日本人特有の「態度」として肯定できる部分は私にとって、どれだけあるだろうか。 サクリファイスには「強いられる自己犠牲」と「すすんで選ぶ自己犠牲」の二つがある。 アメリカは後者を選ぶ機会に満ちあふれている。それがアメリカの良いところだ。アメリカはチャンスの土地なのだ。 日本では、「社会維持のために必要とされる(同じたぐいの)自己犠牲」もシステムとして、かなり古い時期に成立・確立されてしまっている。 そのために、それがいかに間接的にわれわれの『安定的で便利な生活に資する習慣』であっても、「強いられた自己犠牲」であると捉えられることがしばしばである。(現に私はそう感じ、ボランティアをボランティアと捉えてくれて、しかもフェアに評価してくれると期待してアメリカを選んだのだった。) それもまた自然であろう。しかし、それが強いられたものである以上、気持ちの良いものではない。古い国ほど、国家としては安定(もしくは保守)に向かう時期がありうる。その安定は、保守的な人(そういう人は、しばしば「自発的」でない場合が多い)には住み心地の良いところ、と捉えられ、「文化的に進化している」と考えられもするが、「自己犠牲が、自分の自由な選択によってなされることが可能なはずだ」と何かのはずみで思ってしまう、(気がついてしまう、誤解してしまう、ホワットエバー!)や、その「住み心地の良いところ」は、「風通 しの悪い、息苦しい、抑圧的な環境」に転落してしまうのである。それが今日のアジアの国々に共通 なことだろう。 そういった観点から言って、アメリカは自分の生まれてくる故郷であるべきではなく(アメリカ人であるという理由だけで、軽蔑されるのだからたまったもんじゃない。ローマ人にはローマ人の悩みがあるんだぜ)、あとから訪れて、「利用するところである」という石川氏の率直な意見には、「わが意を得たり」と叫ばずはいられない。そうなのだ。アメリカは「世界の図書館」として利用されて初めてわれわれ「文化人」にとっては役に立つところなのだ。あるいは、息苦しいアジア世界からの非難所として... そういった意味から言えば、小学校のころから、国家を斉唱させられて、日の丸に忠誠を誓わされて、国家のために尽くすことが、全体の安定につながり、ひいては自分の幸せをもたらすことになる(なった)、のかもしれないが、「国(全体)に尽くす」ということが「いけないこと」と、戦後の日本ではそれが教育のスタンダードになってしまった。そもそも「全体主義」という言葉が、良い意味で使われたためしがない。だが、「全体主義」ほど日本を言い当てた言葉はなく、それを深いところでは最も大事な美的な『態度』として受け入れているのも確かだ。日本出身のわれわれ(少なくとも私)は、国旗に向かって忠誠を毎朝誓わせるアメリカの小学校や、プロ野球観戦に先立って『星条旗よ永遠なれ』を斉唱することに抵抗を感じないではいられない。抵抗を感じずに自然に受け入れられたら、この国に暮らす上で、どれだけ楽だろう。(それにしても、「星条旗に向かって忠誠を誓い得る」何かがアメリカにある、と私は簡単に認めたくないなあ。「ボランティア精神を誓う」とか「スポーツマン精神に乗っ取る」とか言うほうが私は簡単にのりそうだがね。) 家庭がわれわれに必要なのと同じ理由で、システムとして国家も必要なはず(?)であるが、戦後教育を受けた平均的日本人にとって、それを簡単に受け入れ、協力することはなかなか難しい、と言わざるを得ない。しかし、(実に当のアメリカではそれが当り前のこととして疑問なく行われている一方で)われわれ日本人は、母国を愛してはいけない、という心のどこかにある後ろめたい意識も、マッカーサーが日本にもたらした、成果 の一つであるかもしれない。 アンナのように一見リベラルで自由意思を尊重する人でも(リベラルだからあの抑圧の国ロシアから逃走したわけだが)、アメリカを帰属するに値する国家である、と結構簡単に(?)信じ、現にアメリカへの帰属を渇望しているのに、私は時々訝ることもあり、また羨ましくも思う。私のアメリカに対する「ヘッ、こんな国!」という発言は、むしろ私のジェラシーの裏返しなのかもしれないのだ。現に私は好んでここにいる。 家庭への従属、あるいは帰属するという自然な意識には、私は何の疑問もないが、「国家に対してはそれが持てない」というのは「私の国家は以前悪いことをした」という罪の意識が働いているからではないのか、というひとつの原因に逢着した。この罪の意識もおそらく例の「優れた教育」のおかげなのだろう。私が自分の「うち」に単に属するばかりか、必要とあれば、それを積極的に守ろうとさえする、というのは、私の「うち」が良きもので、誇ることができる組織、だからなのかもしれない。いや、それは真実で、疑いようがない。 たとえば、私の父は犯罪者で、そのために母が苦労し、私も小学校でみんなに苛められた、なんていうことになれば、どうして私がその家を尊敬し、肯定的な帰属意識を育むことができようか。母がよっぽど立派な人物で、「それでも父は立派な人なんだよ」と(実際に立派な人で政治犯になってしまった、何てこともあるかもしれないがそれはともかくとして)、子供に家族を誇らせるということが、ひょっとするとあるかもしれないが、それは例外だろう。私は現に日本を誇ることに、これだけの抵抗と躊躇を覚えるのだ。やはり『ばついち』の国家とゲットアロングするのはたいへんだよ。 さらに、私が日本のことをどう思うかは、日本において自分がどう扱われたか、ということと無関係ではないかもしれない。日本で「強いられた苦労を通 過してきた者」と、「強いられる前に逃げてきた者」の間には自ずと、日本という国家/文化的集団に対して感じる仕方が違って当然といえるかもしれない。 (申し分けない。「ポジティブな日本の文化」について論じるつもりが、日本人はなぜ罪の意識を持ってしまっているのか、と言う方向に論点が移ってしまった。しかし、書いてみて分かったが、これも非常に面 白いことだと思ったぜ。) と言うところで今回は終わるが、これには「つづく...」がある。 | |
| |
© 1994
Archivelago | |