衒学者の回廊/滞米中の言の葉(1993-1994)

農耕は殺戮する2

「日本人は戦いを好まず、平和と水は無料で手に入ると無邪気に考えている。良く働く。周囲の人と同じであるかどうかを非常に気にする。資格や能力よりも、所属する集団に重きを置く」

日本−農耕、西欧−狩猟、という日本人論のなかで、自らを農耕民族と称するとき、思い浮かべられている日本人の民族性というイメージはおそらくこのようなものだろう。ある現象に対して納得できる説明を加えることでより確固とした認識を持つ、という事への希求は否定するものではない。しかし、このような単純な説明のされ方には僕は非常に危険なものを感じるのだ。次の点において、僕はこのような説明を嫌う。

1、このような説明は、これ以上の判断を停止する。つまり、日本人あるいは日本民族、日本文化、日本の国家という物に対してさらに考えようとしなくなってしまうのだ。これは、よく中溝が言う、「言い替えて説明したような気になる」という作業である。これはつまり、何も語っていないのと同じ事なのだ。日本人の思い付く特性を一緒くたにして「農耕民族」という札のついた袋に入れているだけだ。こういう論法だと、例えば「日本人が、朝、ヒゲを剃るのは農耕民族だからだ」とかいうことを主張できるだろう。

2、権力に利用される。言葉を変えただけの説明を流布させ、日本そのものに対して誰も何も考えず、従って何の批判も出てこないということで利益を得ている連中が仕組んでいるのではないかと疑いたくなるほど、この「農耕民族」式認識は悪意的ですらある。このような認識の方法からは、自らの属する集団の在り方に対する反省というのは生まれない。

実に、そのように自民族の特性や社会構造を研究し見極めることは、異なる意味体系を持った集団との関係のありかたを探り、いわば「多民族の公共の場」、例えば国際経済や外交政治や国際連合的機構への参加、に耐え得る世界的視野を得るということが目的とされるべきかも知れないのだ。

一民族の文化が相対的なものであるに過ぎないということは、今日の国際情報化社会に於ては明らかなことである。しかしなお、その相対性、つまり自らが絶対であると思い込んでいた「あたりまえ」が「地域的慣習」におとしめられるという過程は、苦痛を伴う。異文化との劇的な接触、あるいは衝突があるとき、往々にしてそれは起き、ある場合には文化的自己同一性の危機にすらなり得るだろう。しかし、それは先に述べたような、改めて自民族の「田舎性」を反省し、いわゆる「国際性」を身につける機会でもあるのだ。

ところが、そうした視点を得る以前に、「農耕民族と狩猟民族」などという自己療法的認識に眠ってしまうことは、まあ別 にそういう人がそういう風で居たいというのなら、そういう風に濁った目で寝ててもいいですけどね、例えば僕や中溝が国家という枠を越えて何かやろうとするとき、非常に非常に邪魔になるだろうねそういう連中が日本に沢山いたりすると。

農耕こそが、文明の発生の基礎であることは、疑いないだろう。3大文明と呼ばれる、いわば人間としての人類の歴史(あるいは「今回の」歴史)は、全て特別 に豊饒な地域に始まった。農業による集中的な食物生産と余剰生産物の蓄積が、人口の集中、社会組織の発達、都市の発生を可能にしたのだ。原理的に「狩猟採集文化」を基礎にした都市の発達はあり得ない。つまり、地域や気候やその他の要因で、農耕の形態の違いや社会構造の違いはあるにせよ、ヨーロッパだろうがアジアだろうがアメリカだろうが、およそ「文明」と呼ぶにふさわしい、都市を持ち複雑な社会機構を持ったものは全て農耕を基礎にしているのだ。

農耕とは、まず第一に土地を確保することであり、さらに「生産」という行為をなすことである。これらがいわば「農耕の本質」なのだ。 土地の所有は農耕を物理的に開始する為に絶対に必要なものである。ある土地に定着するという住み方が、農耕によって可能となったのであると同時に、農耕を開始するためには土地に定着する必要があったのだと言うこともできる。

狩猟採集文化にも、生産活動が全くなかったわけではないだろう。狩猟活動の道具や調理器具を作るという行為も生産であると言えなくもない。しかし、狩りのために槍をこしらえるという行為と、何かを栽培し収穫するという行為の間には決定的な違いがある。農耕は必要に応じて工夫するという類の生産活動ではない。ある土地を耕し、肥料を加え、種を蒔き、手入れをして育て、やがて「種以上のもの」を収穫する。ここには、投資と利潤の回収という、その後発達したあらゆる産業のコンセプトがある。

所有の概念から生産という活動の哲学まで、実に農耕という生活形態には現在の資本主義の本質的な考え方が内包されているのである。つまり、農耕が始まった時点において、人類は現在の社会に向かって道を過たずに歩む方向を定めたと言っていい。農耕は既に「生活のひとつの形」であることを越えた、主義としての社会形態ですらあるのだ。

聖書の創世記にある、カインとアベルの挿話は、この点において暗示に富んだものである。神は農産物を捧げたカインを顧みられず、狩猟の獲物を捧げたアベルに慈しみを持たれた、とある。ここから「神は農耕に憂鬱である」という哲学を読むことができる。まさに創世記は農耕の発生が人類の滅亡への大きな第一歩であることを告げんとするかのようだ。その後、カインはアベルを殺害し、エデンの東へ追放される。イスラエルが未だ遊牧民であった頃の、様々な農耕民族や狩猟民族との不幸な接触がこのような視点を与えたのだろうか。

農耕の民が狩猟の民を殺害し、楽園から追放されるという筋は象徴的である。これは、農耕の持つもうひとつの特性を示唆するものだ。それが「農耕は殺戮する」というものである。

我々にも親しい比較的新しい歴史上で、アベルの殺害が行われたのは、北米大陸であった。アベル−アメリカ原住民の中には、プエブロ文化のように集中的な農耕をしていた部族もあったが、ほとんどのインディアンたちは狩猟採集を主たる生活手段にしていた。そこへ、都市文明とそれを支える農耕をもった西ヨーロッパのカインたちが上陸したとき、土地の奪取と農耕主義の導入がどのような惨劇を起こすかは明らかだった。そして、ああ神よ、これらカインの末裔たちはクリスチャンを標榜する人びとだったのだ。

今、日本でいきなり「これから国民全員狩猟生活に入ってください」ということになったらどういうことになるか?という設問から、狩猟文化こそ、少なくとも社会生活を営む人間集団としては最も人間以外の生物たちと共存できる形態だったのだ、という結論へ持って行こうとしつつ、今日はこれで送っちゃうのだった。今回のVol.2全体で、僕自身最も気に入った箇所はどこか?それはもちろんわざわざ言うまでもない、冒頭の「日々これ精進」のイラストである。


© 1993 ISHIKAWA Hajime