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これは衒学者を自ら任ずるある園丁(当ウェブ制作者)の思考の歩みです。広い読者を想定せずに書かれた日常におけるきわめて個人的なメモにそれは始まり、次第にそれは「特定」の読者を想定したものとなっていきます。 現在「草庭亭」の主として「批評行為としての庭」(当園丁による)の管理運営をする石川初氏の3年に亘るセントルイス滞在の時期に、筆者が再会した際、この「個人的メモ」は彼との間の往復書簡の形を取るようになった経緯があります。(その一部はすでに石川氏のサイトbs@webの「ある往復書簡」で紹介されています。)この1年数ヶ月にわたるe-mailを利用したエッセイのキャッチボールは、やがて「相互」という狭い読者を想定したものから、自然の成り行きとして不特定多数の一般読者の通読に耐えうるものを目指すようになります。つまりは、「一言えば十解る」親しい間柄だから詳しい説明は要らない、というのでなく、読者がある前提を知らないかもしれないことを想定し、できるだけ一般的且つ受容可能な作文にしていく工夫がエッセイの端々に見られるようになっていくわけです。 作文は、はじめ、時系列的に並べるよう努めましたが、複数のテーマが平行に進んだり、時をおいて返答したり、といった交錯した進展をしたため、思うようにはいきませんでした。ただ、当時の文章は、いくつかの例外を除いて、できるだけオリジナルに近い形で残すようにしてあります。余りにも断片的あるいは独善的な作文には、追って、筆者自身による最新のリビジョン、もしくは解説を付けるつもりです。 まず、往復書簡の相手である石川氏の回想文をすべての文章に先立ってご紹介することで、このサイトの意図を明らかにしたいと思います。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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