衒学者の回廊/滞米中の言の葉(1993-1994)

洪水の日々

(「洪水エイド」に小切手を送ろうかと考えている)石川 初

ゆく河の流れは絶えずして

ここのところ、母親と妹が遊びにきたり、仕事が急にまた少し忙しくなったりして、書き込む余裕がありませんでした。

さて。おそらくニュースで御存知の方が多いと思いますが、アメリカ中西部、河があふれています。ミズーリ各地で死者が出るほどの洪水が相次いでいるなか、上流のミネソタやウィスコンシンではさらに豪雨が続いていて、1973年の「観測史上最高水位 」という記録に1インチまた1インチ、河面が迫りつつあります。

ミシシッピー流域のなかでも、セントルイス周辺は、ミズーリ河、イリノイ河というかなり大きな支流が、いっぺんに、どんと合流する、増水の影響が大きな地域です。

2週間前、母親を連れて、よくひとりでドライブに出かける河沿いの道をゆき、フェリーで渡ろうとしたのですが、増水のためフェリーが閉鎖されていました。先週末、もう一度同じ場所へ出かけると、既に河沿いのハイウェイ自体が水没して、幅の広がった河の一部になってしまっていた。今週は、そのハイウェイに到達する橋のたもとが水没しました。

今日の夕方、市街地の河沿いの公園に出かけてみたのですが、公園の入口、高さ5メートルほどのコンクリートの堤防は、鉄のドアが閉められていて外へ出ることができませんでした。ふと見ると、ドアの隙間から水がちょろちょろと洩れて、僕の立っている道路に流れ落ちている。水は市街地側の地面 から2メートルくらいの高さから洩れています。いやな感じがしたので、堤防をよじ登って、反対側を見たところ、河の水面 はやはり、その高さにありました。つまり、セントルイスの河沿いの地面は、既に「河の水面 より2メートル低い」ところにあって、僕は河より低いところに立っていたわけです。(ああ、なんということだ)

しかし、100年に一度の洪水、明日は「増水のゲートウェイアーチ」を記録すべく、写 真をとりにゆこうと、カメラを用意して床につくのでした。

また、もとの水にあらず

セントルイスの、河に浮かんでいるレストランは数軒あります。(その中には、世界唯一というふれこみの「浮くマクドナルド」もある)セントルイスの河沿いはほとんどが工業地帯なのですが、唯一、ダウンタウンが河に接した部分が、ジェファーソン記念国立公園という緑地になっていて、あのステンレスのアーチが立っています。

公園の河沿いは、19世紀、ミシシッピーの蒸気船が接岸して荷の積み下しをした花崗岩ブロックの斜面 が保存されています。浮くレストラン群と、観光クルーザーは、そこに係留されています。公園を抜けて石畳の斜面 を下り、桟橋を渡って乗船します。(ですから、平瀬さんの記憶は正しいです。もしそれがセントルイスなのであれば)桟橋も半分は水に浮いているわけですから、原理的には、少しぐらい増水しても機能するはずなのです。

しかし、今回の洪水では、桟橋の長さを大きく上回って、水が公園の緑地にまで達しているため、ボート群は全部閉鎖しています。船は水に浮いていますが、そこへ到達する桟橋までが、岸辺(本来なら水面 からはるか離れた緑地の斜面)から50メートルも離れて浮いているという状態です。

これを公園から眺めると、まるで、5、6隻の蒸気船が縦一列になって河をのぼりつつあるように見える。手前に、樹冠だけ顔を出した並木が水にうねり、非現実的な光景です。ミシシッピーは平原の大河なので、洪水は激流でないのですが、河幅がじわじわと広がり、水面 がのぼってくる様子は迫力があります。

公園は洪水を見物する観光客でごったがえしていました。しかしまあ、この観光シーズンに、レストランは大打撃だろうと、気の毒です。(実は僕も写 真は沢山撮りましたが。)

筋肉痛の週末明けについて

7月26日現在、洪水による被害は41000平方キロメートル以上に及び、被害家屋19000戸、41人死亡、被害総額は推定10億ドルと言われています。ミネソタ州やウィスコンシン州、アイオワ州では洪水はピークを過ぎ、水位 が下がりつつありますが(少なくともそう予測されている)、中流のセントルイス周辺では一時下がった水位 がまた上昇しつつあり、長期に渡る水圧に耐えられなくなった古い堤防の決壊が続出し、被害がいよいよ深刻になっています。

セントルイスの市街は川沿いにありますが、場所を注意深く選んであるため、街の中心部に水害の危険はないのですが、市の南部を流れてミシシッピーに注ぐDes Peres川が、ミシシッピーの増水に伴って急激に水位 を上げ、合流点付近一帯に非難命令が出ました。先週末、水位は堤防の高さを2メートル上回り、15メートルに達しました。河川敷の公園は樹の頭まで水没し、下水が逆流してあちこちで道路が川になりました。市の職員と、ボランティアの市民たちが土嚢を積んで、今のところは何とか持ちこたえています。

日曜日、ラジオやテレビのニュースは、朝から、ボランティア労働力や、寄付金、食料品の提供を呼びかけました。市の緊急連絡所に電話をかけて作業の手伝いを申し出たところ、南セントルイスの高校に行ってください、と言われました。高校の校庭は駐車場になっていました。シャベルを抱えたりした親子連れや、Tシャツの若い人達がぞくぞくと集まって来ます。30分程ごとに、バス会社の提供した無料シャトルがまわってきて、くたびれて泥だらけになったボランティアを吐き出し、新しい人達を乗せて「土嚢積み」の現場へ送ってゆきます。

川沿いは、老若男女、何百人というボランティア達と、行き交うダンプカーやらブルドーザーやらでごったがえしていました。僕は、土嚢を下流に向かうダンプに積み込む作業のリレーの列に加わりました。冗談をとばしながらリレーに加わっているおじいさんから、届いた袋をほどいて砂を詰める用意をしている親子まで、まるでセントルイス中の住民が交替で来ているみたいでした。

救世軍のテントが設営され、飲物や食べ物が配られました。アンハイザー・ブッシュ(バドワイザーを作っているビール会社)から缶 入りの飲料水が山のように届き、地元のアイスクリーム店からアイスクリームが届きました。

3時間ほど、しめった砂の詰まった土嚢をダンプに積んで、全身砂だらけ、汗だくになり、陽に灼けて、もう今年の夏はビーチになんか行きたくない、と思いながら、作業中に知合いになった中国系の親子と一緒に帰りのシャトルに乗りました。

予想では、8月の初旬まで水位は上昇を続けるということです。やれやれ、なんということでしょう。

サンドバッグ

英語で、土嚢を積む行為を「サンドバギング」という。「サンドバッグに行きます」とか言うと、まるでボクサーがトレーニングに出かけるように聞こえます。

水の流れ激しくして

昨夜から今朝にかけて、日本から5件以上ものお見舞の電話を頂きました。御心配、ありがとうございます。僕の住む辺り、および仕事場周辺はいまのところ、洪水の危険はありません。

新聞に載っていたという、水没した空港の写真は、スピリット・オブ・セントルイス空港という、自家用機専用の小さな空港で、セントルイス空港はまったく大丈夫です。

昨夜、アーチのたもとに係留してあったボート/レストランのうちのひとつ(バーガーキングでしたが)の綱がはずれ、近くにあった浮上ヘリポートを巻き添えにして、橋に衝突しながら3マイルほど流れ、岸に引っかかったところを取り押えられる、という事故が起きました。

セントルイスでは、今日の正午、最高水位の50フィートに達すると予報され、ダウンタウンに浸水の可能性が言われていましたが、市街地から数マイル下流の地点で堤防がいくつも決壊し、新たに農地や住宅地を水浸しにして、皮肉にもそのおかげでミシシッピーの水位 が下がり、ダウンタウンは救われました。


© 1993 ISHIKAWA Hajime