衒学者の回廊/滞米中の言の葉(1993-1994)

感謝祭、那是一個愉快的夜晩。

石川 初

シカゴの郊外、パロスハイツという所に、ホァング家はあります。

感謝祭の晩餐に集合したのは、HOKに勤めるジェニファーとボーイフレンドのクリス、ジェニファーの従兄のトム、ジェニファーのご両親とおばあさん、それに僕の7人でした。

ホァング夫妻は台湾出身で、ご主人は医師、奥様は医療技師です。お二人とも英語を話しますが、家族のうちでは中国語を話します。その娘のジェニファーと従兄のトムはこちらで生まれた中国系アメリカ人であって、中国語は使えるけれども英語の方が自然に会話ができる、という状態です。クリスはボストン出身の、アイリッシュ/イタリアン/ジャーマンの混血という絵に描いたみたいなアメリカ人で、もちろん英語しか話しません。ジェニファーのおばあさんは、つい2週間前に台湾から来られたばかりで、母国語は中国語ですが、植民地時代の長い日本語教育を受けたために非常に流暢で丁寧な日本語を話しますが、英語はできません。一方、僕は英語はともかく、中国語はまったくできません。

そういう、食卓を囲んだ全員に完全に共通する言語がなく、しかも同じ中国語でも台湾語と北京語が異なるためにホァング家族の間ですら、たまにギャップが生じるという、実にまあ混乱したコミュニケーション状況で、

「多吃一点、更食!」

「Oh, This is a good part.」

「請将那一盤菜傅過来?」

「お茶をお注ぎしましょうか」

「Would you pass me the plate, please?」

「Are you talking to me?」

「我吃得太飽了、謝謝」

「あ、どうも有難うございます」

「What did he say?」

「謝謝悠」

というような国際的(見方を変えれば、これがまさにアメリカ的であるわけですが)な会話が進むなか、アメリカ式に七面 鳥を中心にした、しかし周囲に各種中華料理の皿が並び、おまけに僕に気を使って用意して下さったお味噌汁と巻寿司まであるという異種混合格闘技試合のような晩餐で、僕は動けないくらい食べ、「更食!」という台湾語をおぼえて帰りました。


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