衒学者の回廊/滞米中の言の葉(1993-1994)

“少数派の理屈”も理屈は理屈

理屈が通らない非合理性が文化である、あるいは、文化は理屈のとおらない非合理なものである、という考え方は面 白い1。また、文化というものの定義のひとつ、あるいは特徴のひとつとして興味深いものがある。確かにその考えは面 白いが、その一見非合理にみえる文化の性格というのは、単に我々が文化を通 して知恵がただしく伝えられていないことから生ずる誤解であるのかも知れない。またこの文化論を展開するに当たって、「文化」そのものの新たな定義が出来ればと思っている。あるいは、文化とは何かということが明かにされるというよりは、何やらいわゆる「文化」的なものの多面 性を思い知らされるのがオチであるかも知れない。

1 石川初氏のエッセイ『小数民族の意地』の結び部分に答えて。

一見非合理にみえるある習慣の表面性は確かに他国の習慣と共有しにくい面 があるかも知れない。しかし、扉を立ったまま開けるか、座って開けるかという様な様式の違いというのにも、実はそれぞれに理由がある(あった)に違いない。ただ、我々が何故それを良しとするのかと言う理由を忘れてしまっているだけなのだ。

文化とは言ってみればお茶やお華の道のように、一部の「訳の分かった人」の間でのみ理解可能な作法のようなものかも知れない。ただ、〈道〉の作法がその道を意識して選んだ人によって維持されるのに対し、文化というものは、ある一定の生活圏にいる人に対して影響を及ぼし、その方法を強いるというところがある。例えば、日本列島で生まれたら、「女の人は結婚したら家にいなければならない」というようなことがその生活圏の中では決められている(いた)のだ。勿論それにはいろいろと理由があったに違いないが、それを自主性な美意識だけでは当の女性が納得しなくなってきたので、失われつつある習慣・文化になってきているということなのかもしれない。しかし、こういった女性に関わる問題はちょっとデリケートな部分を含んでいるので、いわゆる文化議論といっしょくたにしてしまうのは危険かも知れない。とにかく文化というものが、分かっている人達によってとりわけ大事にされてきた狭い作法のようなものであるのは確かのようだ。2

2 女性と文化的習慣などについての記述には、その歴史的変遷についての価値判断(value judgment)を含んでいない。また、現在なら異なった記述をした可能性もある。

さて、日本列島では家のなかにいる時靴をぬぐ。靴のままであることを「土足」という。また家に入ることを「家にあがる」という。日本人にとって、「家の中」というのは相当に神聖な場所であるらしい。

ところで、私は西洋人にとってのベッドが、日本人にとっての「家の中」に相当するものではないかと考えたことがある。家を「土足」で歩いている西洋人でもさすがにベッドの上には靴のままではあがらないであろう、と考えたのである。しかし、その幻想もすぐに崩れ去った。「外人」はベッドの上にも、本格的に寝るのではなく、ちょっと横になるというだけなら、靴のままでいるということに、少しのためらいも見せないのだった。ちょっとソファーに横になるという感じで、靴のままベッドカバーの上に横になるのである。(ああ、それだけは勘弁して欲しかった。)とにかく、ベッドの上か否か、あるいは玄関から先か否かという考え自体が日本に独特の「カミシモ」の概念であって、そうした見方しかできないということ自体が、私の日本人としての証拠のようなもので、何ら普遍性もないものなのだ。

ともあれ、実際に土足で家を歩きまわったり、靴のままベッドに横になったからといって、西洋人が病気になったり、死んだりしたという話は聞いたことがない。きっとそういった生活様式が、これまでなんら衛生上のシリアスな問題を引き起こしたことがないのであろう。だから「おれ達はかえる気がない」のだ。こうなってくると日本人の清潔でありたいという傾向は、衛生面 がどうのというよりは、「清潔である」ということに精神的な満足(価値/ヴァリュー)を覚えているか、あるいは「清潔である」ということが目的化された要素である、ということなのだろう。きれいな壁紙でトイレを飾ったり、芳香材を使って臭消しをすることに奔走するよりは、「本当にきれいになる」ということの方が大事なのに違いない。  文化というものは、何であれ、その社会が「幸せ」になるためのある仕掛の様なものだったにちがいない、というのが私の今、少なくとも信じたいことである(人間誰しもいい奴なんだ、か)。

しかし、その仕掛はまるで現在の「民主政治」の持っている使命のようなもので、「最大多数の最大幸福」に寄与するものだった。あるときは、あるいはある地域では、宗教が「最大多数の最大幸福」を保障した。また、あるところでは村の長老がその地域の決りを「おきて」として「おふれ」を出したかも知れない。いずれにしても、こうした伝統が今の政治的判断に変わるものとして、機能していたと考えることが出来る。それが現在の「民主的な」世の中で、旨く働くかはともかくとして、そもそも、そうした伝統というものは人々の幸せのために用意された筈ではないか、というのが私の第一の希望的観測である。

しかしそこで我々が慎重にならなければならないこととは、飽くまでそれら「宗教」「おきて」「伝統」というものが「最大多数の最大幸福」に寄与するものであり、「小数派の最低限度の幸福」を保障するものでない、ということだ。「小数派」はそれが、いかに、その小数派なりの論理や理屈を持っていても、その「宗教」「おきて」「伝統」というもの下では大いに、また悲劇的なまでに惨めに抑圧されることが「ままある」ということなのだ。
  つまり、「最大多数の最大幸福」をプログラムされた自動機械である社会や地域が維持している場合、無意識の多数者が悲劇の抑圧の加害者になるということが一般 的なのである。それが無意識のレベルまでプログラムされているから加害者は質が悪い。たいていの場合、加害者の方が「我々は真面 目に(よい子に)していたのに」「毎日ちゃんとお祈りしていたのに」「法律にしたがって善良な市民として働いていたのに」『なぜ決りを守らない奴がいるのか』という被害者的な意識を持ってしまうことが多い。こうなったとき、「最大多数の最大幸福」のプログラムは小数派にとっては最悪のものになる。

だからなのだろうが、常に文学の世界では洋の東西を問わず、こうした被抑圧者としての小数派の悲劇というものが、伝統的な世界を舞台として多々登場するのだ。

「理屈が通らない非合理生が文化である、あるいは、文化は理屈のとおらない非合理なものである」という考え方は、もしかすると、(いや、それは確実に)「最大幸福」を享受している「最大多数」者、すなわちマジョリティーの言い分にほかならないのではないか。きっとこれに関しては、それを始めに言った石川君もそれと知っていて敢えて述べたのかも知れないが。

私は日本においては、社会の不適応者/敗北者であったという惨めな自己認識がある3。アメリカに来た後でさえ、永住権すら持たない完璧なマイノリティーである。まったく肩身が狭い。「世の中こんな不正や不公平ばかりではない、真の民主主義はこんなものではない」といった、せめて理念の上だけでは理想者。「他の異なる価値観や文化というものを人よりは知っているぞ」といったモノの道理の判った、現世のよき批判者。「私ならそれらに特権的になれるんだ」と自分に言い聞かせているのである。私は自分が決定的にマイノリティーに属していることを知った上で、「最大多数」者への『つまずきの石』たりたいと念じている訳である。それは「おまえら、今はたまたまマジョリティーだが、簡単に〈不幸せな者〉に転落し得るんだぞ」という常に抑圧される側からの警鐘者でありたいということなのだ。

3 現在の私が同じことを言うかどうかは疑わしい。

アンナ4はある日、私にこういった。「決して怒りは行動の原点/モチーフであってはいけない」。彼女にそう言わしめるだけの理由はあるだろう。私が生まれ変わりでもしない限りは理解できないような理由がきっとあるに違いない。また、それは少なくともふたつのことを私に突き付けた。ひとつは私が上に述べたほどの小数派では実質上ないし、これからもない、ということ。もうひとつは怒りは何も発展的な解決をもたらさず、我々に残すのは悲劇のみである、という歴史的教訓の事である。

4 筆者が滞米中におつき合いしていた女性。ソ連のレニングラード(現サンクト・ペテルスブルグ)から、当時のペレストロイカの波に乗って亡命してきた両親の長女でバイオリニスト。ロシアにおいては「ユダヤ人」であることで「難民」の道を選ぶ。アメリカに来て初めて「ロシア人」と呼ばれるようになった、という。

前者に関して言及すると、いくら私が被害者ぶっても、アンナからしてみれば、私が日本の文化の合理性と必然性を擁護することを通 して、日本人としてのアイデンティティーを強調する限り、〈帰るところ(日本)がある、絶対多数者の一人〉にすぎないだろうし、アメリカにおける小数派意識だって、〈自分で選んだ道〉にほかならないということになるのだ。そうなのだ。ソ連という、ドイツに次ぐような民族意識の高いアンチ・セミティズム溢れる人工独裁国家から、財産を残して逃れて来た人から見れば、私などは甘っちょろいもいいところ、単なるわがままな冒険者に過ぎない、のだろう。

今度は、後者に関して考えてみよう。「怒りが残すのは悲劇のみである」というテーゼに関してである。確かにアンナが私に言うことは正しい。少なくともそれはある言語のレベルにおいては正しいとされなければなるまい。私はそれが理解できないほど、想像力に乏しいつもりもない。しかし、日本と言う甘っちょろい、怒りも悲劇もない平和な金満国家から、人間の非合理性や見識の甘さによる〈近い将来起こり得るであろう惨劇〉を予想するとき、それはあたかも人々が平和で、安逸な時をむさぼっている時に必ず現れる旧約聖書上の予言者の様に言葉や心を尽くしたくなる、と言えば良いだろうか。私が「自分を行動や思索にかきたてるものは常に怒りのようなものだ」と説明したとき、その〈怒りのようなもの〉とは悲しみや恐れといった感情の総てを指して述べた積もりだったのだ。

「怒りは悲劇しかもたらさない」という言い分は一見普遍的に正しいことのようにも聞こえるが、「怒りの人」がなぜ生じるのかという原因そのものを無視することは、いかにも加害者側の張りそうなバリアの様にも思える。原因そのものを無視することと、暴動を指して暴動を起こす者のみを非難する態度は似ていなくない。なぜ彼らは暴動を起こさねばならなかったのか、どうして日常に対して牙を向かねばならなかったのか、を考えないことは明らかに社会を鳥瞰する上で、片手落ちである。

さて、私はその「一見非合理に見えること」を小数者が大切にする、という行為をひとつの“社会的行為(態度)”として捉えたいと思う。

被抑圧者が「一見非合理に見えること」を文化として主張すると言う態度は、抑圧者側への呼びかけ、すなわち一種のプロテストと考えるべきではないのか。彼ら被抑圧者達は、怒りや悲しみ、劣等意識などの否定的感情を自分達の生活習慣や一種の生活態度と言うものを通 じて、《文化》というレベルまで昇華させて、PRしているのである。


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